モノローグNO.71. インド大使館はぼったくりか(2018-12-13)
インドへ渡航するに際し、インド大使館へビザを申請しなければいけないことに気づいた。なんでインドにビザがいるのかとまず思ったが、必要だというからしようがない。東京の大使館に出向くのは大変なので、ネットで申請できるのを知り、試してみた。申請用の写真も準備し、多くの項目を1時間かけて入力した。写真はアップロードされ、微調整して作成できるようになっているのには驚いた。亡くなった両親のことまで情報を入力するのも、どうしてと思ったりした。いずれにせよ、必要事項をすべて入力し、写真をアップロードし、航空券eチケット・パスポート・名刺などもアップロードした。そして、最後に支払い。クレジットカードを受け付け、学会の登録費支払いと同様に、支払いの作業も難なく済ませた。
2日後には、登録しておいたメールアドレスに結果が届いていた。結果はRejected。理由はよく分からない。いずれにせよ、却下するならカード支払いした費用(約3千円)を返してほしいとインド大使館にメールしたが、もう2週間経つも返事はなし。一体どうなっているのか。これじゃ、ぼったくりじゃないか。先払いは失敗だったと思い、再挑戦では先払いはせずに行った。そしたら、もう1週間以上経っているのに、ずっと審査中。先払いしないと審査はしないということか。先払いしたら、再度Rejectだったら、3千円が無駄になる。待つしかないと思ったり、直接東京のインド大使館に行くかと思ったり、大変ストレスな毎日を送っていた。
そうこうしていたら、Visa on arrivalという制度のあることが分かった。現地でビザをもらう制度だ。事前にビザがとれないなら、これで行くしかないかと今は思っている。しかし、リスクはある。インドに着いても、そこで入国させてもらえなかったらどうしよう。でもこれしか今は手がないので、とりあえずこれで出国しようと思っている。運を天に任せるしかない。若い時ならこれくらいの冒険は日常茶飯事だったけど、この歳になって冒険はしたくないなあ。
モノローグNO.70. 文科省による大学の再編統合は無責任(2018-12-6)
久しぶりのコラムになります。海外出張やら執筆などで忙しく、さぼった結果です。書きたくなるようなニュースがなかったのも一因かな。
複数の大学をまとめ、アンブレラ方式とか言って、再編統合を文科省が促している。そういえば、10年くらい前にも統合が話題になっていた。富山でも3大学(富山大学、富山医科薬科大学、高岡短期大学)が統合して、「新生」富山大学が誕生した。統合には10年かかり、事務作業も作り直しを何度も何度も繰り返した。携わった教授の疲弊と失望(せっかく作った案の撤回の繰り返し)だけが残った。そのときの再編統合の目的は何だったか。教育や事務の無駄解消だった。特に、教養教育の重複を解消できるのが全面に出ていた気がする。学長さんや幹部さんも減らせる。
今回はどうかというと、少子化がキーワードのようだ。少子化になると、入学定員を満たさない大学がどんどん増えていく。再編統合してスリム化することで、入学定員も減らせる。類似した学科が3つあったとしよう。それぞれ定員40名だったとすると、全部で120名が定員だ。それが統合することで、たとえば80名にすることは可能だろう。しかし、統合のための作業は並大抵なことではない。以前の統合を経験した者として、身に染みて分かる。今でも雑務でひいひい言っている教授陣が疲弊化し、教育研究の水準がまたまた落ちる。
アンブレラ方式の再編統合よりは、自然に任せ、いくつかの大学が消滅していくほうが合理的のように思う。再編統合の作業が不要なのが一番だ。複数の大学が統合して、○○統合大学など、変な新大学が誕生するのも防げる。歴史のある大学は名前ごと残るべきだろう。たとえば、富山医科薬科大学は今はもうないが、外国の人がみれば消滅したと思うだろう。決して、富山大学に統合されたとは思わない。米国のMITとハーバードが統合してMITになってしまったら、ハーバードは消滅したと思うだろう。MITはいいかもしれないが、ハーバード側はいい気がしないだろう。それではMIT/ハーバード大学にしたらいいと思うかもしれない。これこそ愚の骨頂。妥協の愚産物。やはり、優れた二大学はそのまま残るか、どちらかが消滅するほうが分かりやすい。名古屋大学と岐阜大学が統合しようとしている。統合したら、たぶん名古屋大学になるのだろう。そうすると岐阜大学は消滅したと周りは見るだろう。岐阜大学としてやっていけないなら、名古屋大学に統合されることを経営者は考えるだろうが、両立していけると思っていればそんなこと考えないはずだ。負けてしまったら統合の道(合併吸収してくれる大学)を選ぶか、廃業を選択するしかないだろう。岐阜大学は本当に廃業に近いのだろうか。そんなことあるはずがない。
結論。文科省はたくさん大学を認可しておきながら、都合悪くなったら再編統合とか言うが、大学に責任転嫁としているとしか思えない。そうではなく、認可の取り消しを積極的に行うべきではないだろうか。認可したのなら、取り消しもきちんとやってもらいたい。学部名や学科名を変えるのも奇妙だと思っていたが、この調子だと大学名もコロコロ変わる日本になりかねない。もっと歴史を大切にしていただきたいものだ。
モノローグNO.69. 米国医学部の男女比データが出てきた(2018-10-1)
日本の医学部では男尊女卑が如実に示されたのは最近のことだった。各大学の男女データがあった(https://www.med-pass.net/rank/danjohi/)。これによると、女子が一番多いのは東京女子医大の100%、これは当たり前のこと。実質で言うと、佐賀大が46%、北海道大が45%、北里大が43%の順のようだ。つまり、女子が半分を占める大学医学部が日本にはないことになる。一方、女子が少ない大学で見ると、琉球大が14%、東京大が17%、京都大が18%のようだ。5人に1人も女子がいないことになる。
米国に目を向けてみよう。米国医師会雑誌(JAMA)の9月11日号に、”Medical Schools in the United States, 2017-2018”という論文が出た。これによると、全米147医学校の調査から、男子は10752人、女子は11054人が医学部へ入学していた(女子50.6%)。女子のほうがやや多いくらいだ。名門大医学部で見ると、ハーバード大では男子84人で女子81人(女子49%)、ジョンズホプキンス大では男子57人で女子63人(女子52.5%)、スタンフォード大で男子50人で女子50人(女子50%)であり、全米とほぼ同じ傾向だった。日本はたぶん女子割合30〜35%だろうから、米国の50.6%に比べ、著しく女子を軽視していたことは明らかである。
米国は学部卒業の後、大学院として医学部へ入学する。そして、4年間履修して卒業する。卒業生の男女比を見ると、同じ147医学校の調査から、男子は10398人、女子は9352人のようだった。およそ10%の学生が脱落していることがうかがわれる。この状況は日本に比べて約5倍も多い(日本の医学部退学率は2%程度、読売新聞2018年9月20日掲載のグラフから読み取ると)。米国のほうが厳しい教育というのは知られており、医学部でもその実態の現れであろう。一つ気になったことがある。入学時は女性のほうが少し多いくらいだが、卒業時は女性のほうが少なくなっている。これはどうしてだろうか。大学別の数値を眺めると、有名大学では卒業時も同じ傾向だったが、一部のあまり知られていない大学で女子の卒業者が極めて激減していた。これが何を意味するのかは分からないが、そういった大学では男尊女卑の進級テストをしていたのか、女子のほうで向学心ゆえ有名大学へ移っていったのか、これは皆さんに想像してもらいたい。
医学部の卒業生人数について、日本は毎年10,000人くらいだろうから、米国は日本の約2倍の20,000人程度のようだ。人口が2.6倍(328百万人、126百万人)ということだから、日本の医師が少ないということは全く当たらないようだ。
モノローグNO.68. 女性医師差別問題―再登場(2018-9-18)
ついに9/4、文科省の調査結果が出た。翌9/5の新聞各紙には、大学医学科の男女別合格率が公表された。少し前に民間が行った調査とは少し異なり、男女格差が最も大きかったのは東京医大ではなく、なんと順天堂大学だった。最近、授業料などを安くして、優秀な学生を多くとりはじめ、入試の偏差値もぐっと上げている大学だ。わが富山大学は80校中32位だったので、真ん中よりは少し男女格差が大きい部類だったようである。そして、最も女性の合格率が高かったのは弘前大学だった。モノローグ64で最も女子学生が多いのは弘前大学らしいと書いたが、受験者男女比が1だとしたら、まさにN先生がおっしゃったことは正解だったことがわかる。
それはともかく、ちょっと気になったのは、民間調査と文科省調査での合格率に関する男女格差の順位がことごとく異なっていた点である。民間調査では東京医大が第1位だったが、文科省調査では東京医大は第14位だった。なぜかは分からない。分母は民間調査が76校、文科省調査は80校なので、それほど変わっていないのである。もう一つ気になったのは、合格率の数字だ。名古屋大は男子の合格率44%にも及んでいる。これでは倍率2倍少しになる。こんなに倍率が低いことはないだろう。これらの調査結果は信用していいものだろうか。もちろんのことだが、男女で得点調整したと回答した大学はゼロだった。東京医大だけだろうか。そんなことはないだろう。女性の苦手な数学の問題を難しくしたり、面接で女性の点数を下げたりはしているのではなかろうか。
もう一つだけ言っておきたい。女性医師は出産を機に辞めたり、ローテーション異動にも協力していただけない。だから女性は取りたくないという声を聞く。出産という女性特有のことがあるから、半年程度は休職せざるを得ないだろう。しかし、それが終われば職場復帰できることは、民間企業で立証済みである。それが病院ではなぜできないのだろうか。
出産休職して現場に戻ると厳しいという人がいるが、それも正しくないと思う。男性医師でも2年間、留学と称して、海外の大学で研究に没頭するのが慣習的にある。この間は臨床ができないので、戻ったら薬が変わっていてとまどったとか、新しい医療機器が入って使い方を教わらないといけなかった、などという話を聞いたことがある。たった半年のブランクで戻るなら、職場復帰できない訳がない。病院の職場環境を改善すれば、多くの女性医師もずっと医師でいられるはずだろう。
それだけでは十分でないことも事実だろう。家庭における夫婦の関係がある。家事は妻のすることとなっている現実がある。これも変わっていかないと、職場環境だけでは無理に違いないだろう。
看護師もせっかく国家資格を取ったのに、結婚や出産を機会に、大勢の人がやめている。どうして専業主婦になるかといえば、核家族など家庭の事情もあるだろうが、職場の環境もあるだろう。看護師でも医師でもせっかく税金をかけて教育したのに、早期に職を辞してしまうと、それは税金の無駄遣いになる。そういった観点も考えてもらいたい。これ以上税金の無駄遣いにならぬよう、政府も危機意識をもってこの問題に取り組んでもらいたい。
最後に一言、今朝のNHKラジオで某大学教授がこう言っていた。「女性医師問題の解決には、欧米のようにパートタイムの働き方も許容する世の中が必要だ。そうなると、医師の数が足りなくなる。」と。前半部はその通りだと思うが、後半は異論がある。女性医師問題が解決すると、無駄に辞めていく女性医師が減る。その分により、パートタイムで足りない分を補完できるはずだろう。医師の数をやたらに増やすと、失業という新たな問題が発生するかもしれない。それも淘汰されるからいいという人は自助努力を唱える安倍派だろうが、私は淘汰とかM&Aというのは好まない。もちろんさぼるのは良くないが、がんばっていても淘汰されてはどうしようもない。努力賞もあっていいと思う。
モノローグNO.67. Out-動詞が使えると一人前(2018-9-6)
英語を使える人は多いが、社会人になってYMCAで英会話を学んでいたとき(25歳位)、生徒の中にOut-動詞を使って褒められていた人がいたのを覚えている。どんな動詞だったかまでは覚えていないが、今でもなかなか会話の中ですっと出てこない。でも、筆記では書いてみようと思うことはある。あえて分かりやすいようにハイフンを付けるが、ふつうは付けないことを申し述べておく。
「Out-動詞○○」の意味は、ざっくり言うと「〇〇より動詞」である。「Out-」には超えるといった意味がある。例をいくつかあげよう。「Out-score○○」は、「〇〇より点数がよい」という意味だ。「Out-weigh○○」は「〇〇より重みがある」、すなわち「〇〇より大切だ」という意味である。「Men outlive women.」はどうだろうか。「Outliveは〇〇より長生きする」だから、「男性のほうが女性よりも長生きする」という意味だろう。「This stage outperforms the previous stage.」はどうだろうか。「今日の演奏は前回より素晴らしかった」となる。英文を読むときは、「Out-動詞」を気にしてもらえると幸甚です。
モノローグNO.66. EBMからPrecision medicineへ(2018-9-3)
1990年ころに、David Sackettらが根拠に基づく医療(Evidence based medicine)、略してEBMを提唱した。そういえば、自治医大大宮医療センターに勤務していたとき、招聘したSackett博士を成田空港までお迎えにあがった。付き人としてDeborah Cook女史も一緒だった。EBMの根拠となるデータは主にRCTであった。厳密な比較臨床試験のことだ。臨床試験で立証済みの治療を推奨すべきとした。たとえば、高血圧患者についてACE阻害薬は効果的であるとか、カルシウム拮抗薬も効果的だというRCTが実施された。そうしたデータにもとづき、高血圧患者にACE阻害薬やカルシウム拮抗薬は第一選択薬というガイドラインが登場したわけである。
その後、EBMは20年余りにわたって全盛を迎えた。これは主として集団のデータをもとに、すべての人に適用するというものであった。疫学的コンセプトを臨床へ適用したという意味から、臨床疫学という名前で呼ばれることもある。このEBMもそろそろ限界を迎えようとしている。すなわち、集団に対して一律の治療をしていても、これ以上アウトカムは向上しなくなってきたのである。ある意味、RCTによるエビデンス創生に赤信号が灯ったと言える。
これからは高血圧患者ならだれでもACE阻害薬ではなく、高血圧患者の中の部分集団(サブカテゴリ―)を探索し、より精密な医療のための根拠データを求めようとなった。正確かどうかはわからないが、冠動脈心疾患を伴う高血圧患者ではカルシウム拮抗薬、慢性腎疾患を伴う高血圧患者ではACE・ARB薬、などという精密化を行う。これが精密医療、Precision medicineである。RCTにはもう一つの欠点がある。プラセボより有意に優れるといったことを立証するのは得意だが、同種同効薬同士を比較して序列化することは苦手である。RCTだけをしていては、同種同効薬の使い分けの根拠となるデータが出てこない。そこで、2009年にオバマ米国前大統領は、Comparative Effectiveness Research (CER)のための法案と予算化を決めた。同種同効薬同士を比較するための研究が始まりだした。さらに2015年、同じくオバマ前大統領はPrecision Medicine Initiativeというものを提唱した。言うまでもなく、Precision Medicine(精密医療)を推進することの宣言である。
ところで、精密医療と個人別医療(Personalized medicine)とを混同している人がいる。これは別物だと思う。個人別医療とは、患者ごとに合わせた医療を行うものだろう。特定の患者の家族構成や考え方をよく聞いて行う医療も個人別医療の一つだと思う。一人一人に最適な治療を提供するものだが、精密医療ではもっと小さな集団ごとに最適な治療を求める。ざっくりと「高血圧には」ではなく、「冠動脈疾患を伴う高血圧には○○薬を」などと。がんの免疫療法でも抗体反応に基づいて投与の有無を決めるが、これも精密医療の一つだろう。特定の治療が功を奏する患者を選別することこそが神髄だと言えよう。そのためのバイオマーカー探索研究は今隆盛しているが、これも精密医療には欠かせない研究領域と言える。統計用語で言うと、予測因子(Predictive factor)の探索研究と言える。一昔前は予後因子(Prognostic
factors)がよく研究されていたが、今は予測因子を探すことで、精密医療を目指す研究が流行している。
EBMで力を発揮した統計学は、精密医療では必ずしも万能ではないかもしれない。それよりも機械学習(Machine learning)のように、網羅的アプローチが役立つのではないかと思う。そこに専門医の経験を取り込む、いわゆる人工知能(AI)の活用も加えていくべきだろう。漢方方剤の選択にどの証が決め手になっているか、このような研究でも機械学習のような手法が有用かもしれない。専門医によるお手本的処方を学習することで、新米医師は育っていく。どういった患者にはどの治療が最適なのかに対して、AIで実現できる時代もそう遠くないだろう。かといって、医師がいらなくなることはないと思う。やはり、最後の個人別医療が残っている。AIでは無理だろう。皆さんも気づいていると思うが、メール会議では不十分の案件はあり、そのとき対面会議は必須なことと似ている。
統計学でも精密医療に必要な方法論が開発中である。サブグループカテゴリー化という手法である。この薬が功を奏するのは高血圧患者の中でもどういった患者なのか、そうした部分集団(サブグループ)を見つけ出す手法の開発である。最近データサイエンスが巷を賑わさせているが、精密医療でもコンピュータ系の専門家と統計系の専門家、そして現場の医師がチームを組んで進展することを望みたい。
最後にコンピュータ系(機械学習)と統計系(統計解析)の違いをまとめてみた。なお、このモノローグを書くきっかけとなったのは、Annals of Internal Medicineの7月3日号に「Machine Learning and Evidence-Based
Medicine」という記事を目にしたことだ。
コンピュータ系(機械学習)
|
統計系(統計解析)
|
Precision
medicine向き
|
EBM向き
|
個別医療
|
集団医療/ガイドライン
|
研究計画書は不要
|
研究計画書は必須
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事前の仮説は不要(仮説形成目的)
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事前の仮説は必須(仮説検証目的)
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関連(パターン)分析―網羅的
|
回帰モデル―事前設定
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Big data(自然に集まる)
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Small data(計画的に集め, 質が高い)
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どのデータも均一化
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信ぴょう度からデータを序列化
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Multiple
testingで確認
|
Multiple
studiesで確認
|
モノローグNO.65. 〇〇大学大学院教授は変だろう(2018-8-30)
富山大学大学院教授などと紹介されることがある。大学大学と、大学が二度現れるのに違和感を持ち続けていた。始めは誤りじゃないかと思ったくらいだ。「大学院」という文言は不要ではないかとずっと思っている。富山大学教授と何が違うんだろう、大学だけでいいではないだろうか。
大学の教育課程を言うときは、学部(Undergraduate)と大学院(Graduate)を区別するのは当然だと思う。学部(School)・学科(Department)は共通だと思うが、授業内容(Curriculum)が異なるからだ。しかし、自分の所属を言うときに、Graduateを冠に付けていう欧米人は見たことがない。Professor of Yale Universityと言うが、Professor
of Yale Graduate Universityなどと紹介はしない。論文の例を挙げよう。日本人はUniversity
of Toyama Graduate School of Medicine and Pharmaceutical Sciencesなどと所属を書くが、やはりGraduateは不要だろう。しかも、MedicineとPharmaceutical Sciencesが合わさった学部というのも奇妙に映る。学部は医学部と薬学部に分かれているが、大学院は医学薬学研究部となっているからだろう。学部も大学院も同じ構成のほうが分かりやすいと思う。医学薬学研究部というと、あなたの専門領域がよくわからない。University of Toyama School of Medicineとか、University
of Toyama School of Pharmacyと書いたほうが自然ではないか。ちなみに、正式名称は、先頭には「The」が付くらしい。日常は「The」を付けないが、たとえば正式な卒業証書などは「The」が付いている。特定の固有名詞には「The」を付けることはご存知のとおりだ。
医学部について言うと、アメリカでは医学部はすべて大学院である。学部卒業生しか入学できないからだ。いわゆる大学院大学と言う。医学以外にも、法学(Law School)、公衆衛生学(Public Health School)、経営学(Business School)などが知られている。大学院だからといって、Graduate
School of Medicineなどと決して言わない。School of MedicineあるいはMedical schoolと呼ぶ。
欧米では教授というと、学部も大学院もどちらの学生も教えている。あの人は学部担当の教授で、あの人は大学院担当の教授なんてことはない。しかし、日本では学部担当だが、大学院担当ではない教授という人たちがいる。それを区別するためとおっしゃるかもしれない。妥当な理由に聞こえるかもしれないが、姑息な理由にも聞こえる。大学院担当だからと言って、たいして威張る話ではない。どっちも同じようなものだ。
モノローグNO.64. 医学部への合格率を巡って(2018-8-27)
8月13日、読売新聞による調査結果が示された。合格率(=合格者/受験者)に関する76校の調査結果である。合格者の男女比はネットや広報で公開されているが、受験者の男女比は当事者しか分からない。その意味で、この結果は初めて公開された貴重なデータといえる。なお、調査に回答しなかった大学が東京大など5校あったようだ。残念なことに富山大も非回答だったようだ。下記は、男性上位のトップ5である。
大学名
|
男性(%)
|
女性(%)
|
格差
|
東京医大
|
3.48
|
1.07
|
3.25
|
山梨大
|
8.50
|
3.23
|
2.63
|
聖マリアンナ医大
|
5.07
|
2.07
|
2.45
|
日本大
|
5.12
|
2.35
|
2.18
|
岐阜大
|
5.91
|
2.96
|
2.00
|
問題となった東京医大では、合格率の男女比は3.25(男:女)であった。そんなに男女で学力に差はないだろうから、何らかの操作がなされたことをうかがわせる。そのほかの大学でも、男性のほうがかなり合格率の高いことがわかる。この資料には示していないが、逆に女性のほうが合格率の高かった大学も少しだがある。第一は島根大学で男女比は0.61(男:女)、第二位は福井大の0.67(男:女)だった。全体で見ても、男性の合格率は8.00%、女性の合格率は6.10%であった。受験者が同数だとすると、女性の入学者は6/(8+6)=6/14=43%と推計される。およそ女性の割合は40%と言われているので、ちょっと高い(鯖を読んでる)気もするが、ほぼ正しく報告しているように思う。女性割合が一番多い大学はどこだろうか? 東京女子医大は当然100%だが、どなたかが調べたところ、弘前大学で最も女性割合が高かったそうだ。
実力は男女で違いはなく、受験者数も男女で違いがなければ、入学者は男女半々になる。米国では女性割合はほぼ50%のようである。北欧では50%を超えているところもあるようだ。実力に差は考えにくいので、医学部は女性のほうで人気が高いのかもしれない。受験生が女性のほうに多いことをうかがわせる。たとえば、理工系に男性が多いのと似た状況だ。
ほんとうに女性医師が多いと困るのだろうか。外科系は女性医師には向いていないとか言うが、職場環境が過酷だから女性医師が辞めてしまうのではないだろうか。男性にしかできない業務はあるかもしれないが、そこは男性医師が手伝えばよい。若いうちは夜勤をしなくてはいけないが、女性医師は断るから困る。このようなことは企業でも一昔はあったが、助け合いやローテーションで解決している。看護師で見てみよう。看護師は女性が圧倒的に多いが、夜勤もちゃんとこなしている。医師だけ女性が困るということはないと思う。女性のほうが患者さんの気持ちを聴くのは上手であり、患者さんに寄りそう医療の実践には女性のほうが向いていると思う。家庭医療などでは特にそうだと思う。女性医師が眼科や耳鼻科に偏って困るというが、それは他の科が厳しすぎるだけのことではないだろうか。
労働時間調査をすると、医師はふつうのサラリーマンでは考えられないほど遅くまで勤務している。女性は救急対応ができないという人もいるが、勤務体制が変われば、女性でも対応することだろう。企業で出来たのだから、病院でも出来ると期待する。キャビンアテンデントも昔はほぼ女性だけだったが、いまは男性も増えている。看護師も同様だ。男性または女性に志願者が偏っているのならやむをえないかもしれないが、志願者が男女同じの時、その機会を排除するようなことはやめるべきだろう。
ただ一つだけ言っておきたい。一般の職業と医師という職業はちょっと違う。たとえば、〇〇科に行く医師がいなくなったら困る。〇〇病院で働きたい医師がいなくなっても困る。企業であれば、そこへ行きたい人がいなくなったら倒産するだろう。しかし、病院が倒産したら大変なことになる。いまの日本の家庭をみると、女性の仕事都合で引っ越しするような事例は少ない。その意味では、男性が犠牲になっているのだ。だから、病院としても犠牲になってくれる男性を望む。会社でも同様だ。転勤を受けてくれる男性のほうが使いやすい。でも、使いやすい、言うことを聞いてくれるからという理由で、そういう人がほしいという理屈は通じない。でも、いつも本音と建前のせめぎあいがあり、明解はすぐには見つかりそうもない。
モノローグNO.63. コンパクトシティを成功させるには(2018-8-20)
大店立地法が過去に国交省により制定され、大型店舗が郊外へ数多く進出した。富山では、「コストコ」、「アルプラザ」、「アピタ」などがそうだ。私にはアメリカの真似というか、圧力の結果とみえる。アメリカでは1980年代、郊外に大型モールがたくさん出来た。アメリカは車社会なので、車で郊外へ出かけるのは苦ではない。街中の狭い土地へ進出することは不可能である。郊外は土地も安いのでコスパも大変よい。しかし、それによって街中がさびれたような感じはなかった。大型店舗こそないけど、人気店はたくさんあったように思う。それでは、日本はどうしてこれにより中心市街地が過疎化したのだろうか。確かに、富山のアーケードも閉まった店が目立つ。
この大店立地法により大型店舗の郊外進出を推進しつつ、一方でコンパクトシティと称して、元に戻そうとしている。なんだか矛盾しているように見えてしかたがない。そして、コンパクトシティは誤った政策のような気がする。国は補助金を出してまで進めようとしている。富山市は街中へ住めば、市が住居費(ローン)の一部を補助している。税金を出してまで街中へ集中させようとしている。その結果として人口は増えたかもしれないが、店舗はそんなに増えていない印象だ。少なくとも、郊外で賑わっているような店は街中へ進出してこない。たとえば、「丸亀製麺」、「糸庄」、「すし食いねぇ」は、街中へは入って来ない。コスパが悪いからだろう。街中は土地代が高いので、面積当たりの収益をかなり上げないとペイしない。そこへもってきて、街中へ移ってきた人は高齢者に偏っている。高齢者はあまり外食もしないだろうから、進出したお店は賑わない。悪循環のように思う。
高齢者はどうして街中へ進出してきたか。補助金もあるが、もっと大きな理由がある。もう自動車が運転できなくなり、郊外にいたら買い物さえもできないからだろう。街中なら車がなくても、近くに買い物する店がある。これが理由だろう。一方で、若い人も当然街中に住んでいる。私もまだ運転できる世代だから、若くはないが年寄りでもない。この世代から見ると、街中に住んでも、結局郊外まで車で買い物に行く。街中でも「ピアゴ」や「デパ地下」で買い物はできるが、品薄だし値段も高い。外食でさえ郊外まで行くこともある。それはなぜか。街中のお店に魅力を感じないからだ。もっと、魅力ある店舗が街中に集まってこないと、コンパクトシティと言っても恩恵はまったく感じない。
補助金は税金であるし、その使用には限界がある。補助金がなくなれば、また市場原理に従って元に戻ってしまうだろう。コスパが良い郊外へ行って、店舗を開くことだろう。そしたら、コンパクトシティ構想は失敗に終わる。
ではどうすればよいか。東京にヒントがある。東京は街中に人が集まってくる。それらは郊外に住んでいるサラリーマンだ。そこに住んでいる人ではない。地方でも、街中に仕事へ出かけるサラリーマンはいる。そういう人たちをターゲットにしたような洒落たレストランやブティックがあれば、みな帰りに寄っていくだろう。そうしたサラリーマンは、電車やバスで通勤しないとだめである。車で来たら、お酒を飲めないので、すぐに帰宅してしまう。車社会からの脱却ができれば、東京と同じようにコンパクトシティが完成することだろう。住民を街中へ呼び寄せるだけでなく、公共交通で通勤させ、帰りに寄りたくなるようなお店の誘致を行う。車通勤は禁止くらいしたほうがいいかもしれない。こうして活気が出てくればしめたもの。もちろん、私のように街中に住んでいる者としても、そのような店ができたら出かけたくなる。いまは悪循環している。街中に人はたくさんいても、魅力ある店舗が少ないため賑わない。お客が入らないと店舗は撤退してしまう。するとシャッターが閉まった状態になる。魅力ある店舗に街中へ入ってきてもらい、街中では住民や通勤者などがそこへ出入りするようになる。お客が増えればコスパが上がり、どんどん活気づくようになるのではないだろうか。
モノローグNO.62. ロシア疑惑かロシアゲート事件か(2018-8-9)
ウォーターゲート事件というのがかつてあった。首都ワシントンDCのジョージタウンにある、ウォーターゲートという名のビルで起きた事件だ。私も見に行った記憶があるが、曲線美の丸い大きなビルだったと思う。ケネディセンターで三大テノールの一人、ドミンゴの誕生日演奏会へ行ったときだったと思う。共和党がウォーターゲートビル内の民主党本部に盗聴器を仕掛け、発覚を恐れたニクソン大統領がその隠ぺい工作をしたことで、弾劾裁判となり大統領が辞任に追い込まれた事件だ。
今般、先の大統領選挙のさいに、ロシアと共謀した疑惑が上がっているトランプ大統領。これは、Russia Gate Investigationと呼ばれている。なぜか、和訳はロシア疑惑になった。ゲート(Gate)が消えてしまったのだ。今回のGateは固有名詞ではないが、ロシアの関与、つまりロシアの門を通ったかどうかが問われているので、ロシアゲート事件と呼んだほうがいいかなと思う。どちらも大統領のスキャンダルなので、ウォーターゲート事件に引っ掛け、ロシアゲート事件と外国では呼んだのだろう。ゲートの意味だが、前回はビルの名称、今回はロシアとの入口の門と異なるが、どちらも大統領の隠ぺい工作が強く疑われ、ニクソン大統領は辞任に追い込まれ、トランプ大統領も辞任に追い込まれそうな大事件だ。
モノローグNO.61. 安倍内閣の特徴(2018-8-2)
庶民は政治を論じてはならない。日本にはいまだに、このような雰囲気があるように思う。居酒屋で友人と飲むときに政治が話題になるだろうか? まずないだろう。上司の悪口が関の山。学校で友人と政治の談義をするだろうか。それより彼女、彼氏だろう。授業中もなぜか、自分の政党はこれだ、と言ってはいけないのが世の常だ。政教分離とか言われかねない。しかし、30年以上前アメリカに住んでいたころ、職場(といっても私はRAとしてだが)では、選挙前になると自分の政党がいいと談義している姿をよくみた。私はそこへ入り込む余地がなかった。英語がだめなのもあるが、政治を知らなすぎだったと思う。
今日はあえて、安倍内閣について談義をしたい。安倍内閣と庶民の違いを、下記の表に対比してみた。
安倍内閣
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非安倍で庶民的見方
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経営者向き
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労働者向き
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株式派(2倍に上昇) |
貯金派(金利を上げる)
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防衛力を保持
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平和重視
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原子力利用
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原子力反対
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安倍内閣は経営者の方向を向いていると思う。経営者のための政策が多い。岩盤突破政策、法人税減税、IR法案などすべてそうだ。労働者にとっては、税にしても何にしても都合悪いものが多い。金持ちにとっては、安倍内閣は都合いい内閣だろう。株価は2倍以上に上昇した。一方、貯金するのが精いっぱいという庶民にとっては、ゼロ金利政策のためにまったく財産は増えない。だから、高価なものには手を付けない。昼食も500円コイン。節約モードだ。大多数の庶民がこれだから、物価は上がらない。黒田バズーカを鳴らしても無駄だった。ようやく物価2%上昇の旗を下げるみたい。いずれにせよ、安倍内閣の政策では、大多数の庶民はぜんぜん潤っていない。金利を上げましょうという政策を訴える政党がないのは寂しい限りだ。消費税撤廃を主張している共産党くらいだろうか、庶民の味方なのは。
防衛体制についてはどうか。安倍内閣はじめとする保守派は防衛力を保持し、周辺事態に備えて、もっと防衛費を増やすべきと主張する。自民党にこの考えは強いが、野党でも近い考えの人が多い。その反対が平和主義だ。平和を言いすぎると、お前は平和ボケしていると叱られる。しかし、戦争で負けた日本だからこそ、平和をもっと掲げてもいいのではないだろうか。平和重視と思われる政党は共産党と社民党だけだろう。
最後は原子力だ。原子力をうまく利用するというのが安倍首相だ。同じ自民党でも小泉元首相は原子力反対。原子力でひどい目に会っているのだから、原則やめる方向が普通の考え方ではないかと思う。電力不足になるというが、ここ2週間の厳暑で、エアコンをどんどん付けなさいと言っている。それでも、電力不足で停電しそうだという声を聞かない。ほんとうに原子力がないと生活破綻するのだろうか。電力会社の都合だけではないだろうか。経営者志向の安倍内閣で原子力を止めることはできないだろう。
庶民を志向して貯金金利を上げ、防衛予算を削って平和重視を掲げ、原子力反対を主張するような、一貫した政党が出てきてもらえないかと思う。防衛力については保持すべきというのは反対の庶民も多いかもしれないが、公共料金を下げたり金利を上げたりすることへは80%以上の庶民は賛成だろう。原子力廃止も60%以上が世論ではないかと思う。共産党と社民党は、金利上昇、防衛費削減、原子力反対、すべてそろっていそうだ。でも賛成しかねるのはどうしてか。自問してみた。努力する人が報いられることを庶民は望むが、それがこの両党では叶わない。だれもが平等で、一律になるんではないかと思うからではなかろうか。
モノローグNO.60. ラテン語とギリシャ語の数字(2018-7-23)
モノローグ58に引き続いて、ラテン語とギリシャ語についてである。今回は、否定の接頭辞ではなく、数字がテーマである。数字の1から5まで、それぞれについてラテン語とギリシャ語がある。統計・医療用語で思いつくものを挙げておいた。
数字
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ラテン語
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ギリシャ語
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1
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Uni-
Univariate(単変量)
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Mono-
Monotherapy(単独療法)
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2
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Bi-
Bivariate(二変量)
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Di-
Dual
therapy(併用療法)
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3
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Tri-
Triplet
therapy(三剤療法)
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Tri-
Triplet
therapy(三剤療法)
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4
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Qua-
Quartile(4分位)
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Tetra-
Tetrapod(四足獣)
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5
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Quin
Quintile(5分位)
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Penta-
Pentagon(五角形)
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一昔前に「Uni」という鉛筆があったが、「唯一無二」という意味合いだったのだろう。「Uni-que」や「Uni-form」などもそうである。医学用語では「Uni-lateral」(一側性)、統計用語では「Uni-variate」(単変量)がある。なお、一側性に対応する両側性は「Bi-lateral」である。あとで述べるが、「Bi」はラテン語で「2」を表す。「両側」は統計用語では「りょうがわ」(Two-sided)と発音するが、医学では「りょうそく」(Bilateral)と発音する。
「Mono」のほうは、「Mono-rail」(モノレール)や「Mono-poly」(人生ゲーム→独占するという意味だが、人生の中で家などを独占することから名前が付いたのだろう)がある。このサイトである独り言は「Mono-log」であり、1人でするお話のことである。ちなみに、2人でするのは「Dia-log」(対話)である。これもギリシャ語が起源だ。医学用語では、「Mono-therapy」(単独療法)があるだろう。統計数学用語では、「Mono-tone」(単調性)がある。
数字の「2」に移ると、ラテン語が「Bi-」、ギリシャ語が「Di-」である。「Bi-cycle」(自転車)は車輪が2つあるためである。「Bi-lingual」(二か国語を使える人)もラテン語からだ。一方、「Dual therapy」(併用療法)の「Dual」は、ギリシャ語の「2」を表す「Di」が語源と思われる。「Di-lemma」(ジレンマ)も、2つが板挟み状態を指すのだろう。「Di-vide」(分ける)も二分するという意味なのだろう。
次に数字の「3」だが、これはラテン語もギリシャ語も同じで、「Tri-」のようだ。「Tri-angle」(三角形)、「Tri-plet」(三剤療法あるいは三つ子)、「Trio」(三重奏)、「Tri-ple」(三倍)などが思いつく。ちなみに、二倍は「Double」であり、ギリシャ語の「Di-」が起源である。
数字の「4」はラテン語が「Qua-」であり、ギリシャ語が「Tetra-」である。「Quartile」(統計用語で四分位)や、「Interquartile range」(四分位範囲)はご存じかもしれない。「Quartet」(カルテット=四重奏)も同じ起源だ。ギリシャ語の「4」は「Tetra-」であるが、これは医学・統計学ではあまり使われない。「Tetra-pod」が四足獣を意味するが、あまり聞いたことはないかもしれない。
数字の「5」はラテン語が「Quin-」であり、ギリシャ語が「Penta-」である。五分位のことを「Quintile」と呼ぶ。統計CRO会社で「Quintiles」があるが、これを文字って名前を付けたのだろう。「Quintet」(クインテット、五重奏)もよく聞くだろう。一方、「Penta-gon」(ペンタゴン)は五角形という意味だが、アメリカ首都のワシントンDC近く(実はバージニア州)にあるアメリカ国防総省の本庁舎の名前でもある。実際、この庁舎は五角形をしている。函館の五稜郭も同じ形だ。9.11事件のときに、ハイジャック機はこのペンタゴンへ突進した。
ところで、有機化学のアルカンをご存じだろうか。メタン(炭素が1つ)に始まり、エタン(炭素が2つ)、・・、ペンタン(炭素が5つ)、ヘキサン(炭素が6つ)、オクタン(炭素が8つ)、・、デカン(炭素が10個)と続く。化学用語にはギリシャ語が多いのかもしれない。「クイズ・ヘキサゴン」を覚えている人がいるかもしれない。そこでは6人の出場者がいたので「ヘキサ」と付いたのだろう。「ゴン」は、角を意味するギリシャ語である。「オクトパス」(タコ)の足が8本でも分かるように、「Oct-」(オクト)は8を意味する。「オクターブ」は、「ド」から「ド」までの8音程から来ているのだろう。それでは、「October」はなぜ10月なのか。これにはちゃんとした理由がある。現在の暦はグレゴリオ暦だが、遠い昔カエサル暦というのが使われていた。そこでは、今の3月が1月で、今の2月が12月だった。現在の10月は旧暦の8月に当たるので、「October」となったというのだ。ちなみに、「December」も旧暦の10月(現在の12月)から来たと言われる。「Decade」(10年)や「Deci-liter」(デシリットル=リットルの1/10)でも分かるように、「Dec-」は10を意味する。なお、「Milli-」は100を意味するので、「Milli-liter」(ミリリットル=リットルの1/100)である。ちなみに、「Milli-onnaire」は億万長者と訳すが、英語でMillion dollarは$1Mと書いて1,000,000ドル(100万ドル)なので、日本円にすると約1億円になる。そこで1億円稼ぐ人、億万長者となったのだろう。
モノローグNO.59. FDAは100億円かけてRWEシステムを構築する計画(2018-7-17)
FDA長官であるScott Gottlieb博士が、7月10日付でメッセージを書いている(https://blogs.fda.gov/fdavoice/index.php/2018/07/fda-budget-matters-a-cross-cutting-data-enterprise-for-real-world-evidence)。ASA(米国統計学会)-Biopharmaceutical sectionのメールで、今日知った。
それによると、2019年(来年)度の国家予算として、リアルワールドデータを取り込んだシステム開発のために100億円を投じる計画をFDAが示した。まだ決まったわけではなさそうだが、ここまでオープンにすることだから、大筋決まっている可能性が高いと思われる。
1,000万人の電子カルテ(EHR)を基盤にして、レセプト(Insurance Claims)、患者レジストリー、デジタル健康機器などの情報も取り込むそうだ。このシステムは、市販後(PMS)の医薬品・医療機器等の安全性・有効性の評価にさいして、大変有用なデータベースになることが期待される。市販後に大規模の臨床試験が行われることがあるが、このシステムを利用することにより、もっと効率的な臨床試験を組めるようになるだろうとしている。ベイジアン手法やプロペンシティ手法など、現代的な統計手法を用いることにより、対象の絞り込み、適切なエンドポイントの設定などを可能にすることだろう。手法名については、このブログの中にも明記されている。統計専門家の活躍場面も広がっていくことが予想される。
異なる情報源の接続、電子カルテから取り込む情報の標準化など、困難な作業がいろいろと予想されるが、行き末を見守りたいと思う。
モノローグNO.58. 否定の接頭辞―ラテン語とギリシャ語(2018-7-2)
英語での否定の接頭辞、4つほどあるようだ。よく使われる順に、1) 「un-」、2) 「in-」、3) 「non-」、4) 「a-」である。「Un-equal(不均等)」のように使うが、「un」は元々ラテン語が語源のようである。また、「in」も同様にラテン語が語源であり、「un」から派生したようである。たとえば、「in-finity(無限)」などがある。この「in」については、次に来る文字によって、「im」になったり、「ir」になったり、「il」になったりする。たとえば、「im-balance(不均衡)」、「im-possible(不可能)」、「ir-relevant(無関係)」、「il-legal(非合法的)」などがある。
次の、「non」であるが、これは「un」や「in」からフランスに移ってから変わったもののようだ。フランス語で「いいえ」は「Non」というから、否定の接頭辞に変化するのもよく分かる。たとえば、「Non-clinical(非臨床)」などがある。
英語の語源には大きくラテン語とギリシャ語があり、ラテン語が断然多いものの、両者が関与している事例もある。否定の接頭辞については、「a」がギリシャ語である。たとえば、「a-typical(非典型的)」、「a-symmetry(非対称)」、「a-symptomatic(無症候性)」などがある。
蛇足になるが、数字の「1」について、ラテン語語源は「uni-」であり、ギリシャ語語源は「mono-」である。たとえば、「unique」(唯一)や「uniform」(一様)はラテン語、「monorail」(モノレール)や「monotherapy」(単独療法)はギリシャ語が語源である。今回から「ひとりごと」ではなく、「モノローグ」に変更した。この「モノローグ」は、お分かりのように、ギリシャ語が語源である。
ひとりごとNO.57. 健康寿命はどうやって計算するの?(2018-6-26)
健康寿命、英語では”Healthy Life Expectancy”と呼ばれる。実は2000年に、世界保健機関(WHO)がこの健康寿命というものを定義した。それは、「心身ともに自立し、健康的に生活できる期間」と定義された。2013年時点で、日本人男性では71歳、日本人女性では74歳のようである。ふつうの寿命より、健康寿命はおよそ10歳若い。逆に見れば、健康でなくなってからおよそ10年で死亡するとも言える。
そもそも「健康」かどうかなど、どうやったら分かるのだろうか? 健康の定義は、これまたWHOの定義が有名だが、1946年6月のWHO憲章に見られる。健康とは、「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」と書かれている(日本WHO協会)。「福祉」というのが気になって調べてみた。”Well-being”を「福祉」と訳しているようだが、むしろ「良好な状態」のほうが実を表していると思った。そこで、「肉体的、精神的及び社会的に完全な良好状態であり、・・・・」としたほうがよいのではなかろうかと思う。健康寿命とは、”Full health”(完全な健康状態)で生活できる年数と言える。
寿命は生年月日と死亡日から容易に、かつ正確に(日本では)算出できるが、一人一人についての健康寿命など分かるはずがない。健康は定義されるも、それは主観的である。個人個人に、「いつから健康でなくなりましたか?」など聞いていては、逆に誤った健康寿命になることだろう。それでは、どのようにして健康寿命を出しているのだろうか。WHOが世界規模で実施している調査データより推計している、というのが正解である。算出とか計算ではなく、「推計」というところがミソである。多種にわたる疾患の罹患状況を性・年齢別に調査し、それらのデータから各国の健康寿命を推計している。WHO Global Burden of Disease (GBD) Study、WHO
Multi-Country Survey Study (MCSS)、World Health Surveyの3つのデータが使われているようだ。世界全体の死亡例の11.5%が喫煙に起因していたと公表されたが(Lancet 2017;389:1885-1906.)、そこでもWHO GBD
Studyデータが利用されていた。
しかし、どうも日本人の健康寿命の推計値、少し低すぎるのではないかと感じている。周りの高齢者をみていると、男性70歳、女性74歳では、まだ大半の人が健康に見えてしようがない。皆さんはどう感じているだろうか。でも、私の印象は間違いだと気づいた。私の見ている高齢者は、健康的な人に偏っていることに気づいた。病気がちの人に、街中で私が会うはずがない。逆に、街を歩いているような高齢者は、健康のほうへ偏っていて当然だと気づいた。第二の理由。若くして亡くなる人がいるため、寿命の分布は左(0歳)のほうへシフトしている。そのため、平均寿命(公表値)は寿命の中央値より低くなる。人間の直観はむしろ真ん中の人、つまり中央値である。公表値より高くて当然なのだ。私の印象は正しかったが、WHOの公表した健康寿命も正しかったことになる。WHOが貴重な調査データから推計しているのだから、たぶん正しいのだろう。こうしたWHO健康寿命プロジェクトに日本人も関与しているのかは知らないが、ぜひともこうした領域でも活躍する日本人にもっと出てきてもらいたい。
ひとりごとNO.56. 加計理事長の発言になぜモヤモヤするのか(2018-6-21)
今週月曜日にやっと加計理事長が謝罪会見した。三重県との会合の際に、安倍首相も後押ししてくれているので早く進めてほしいなどと言ったこと、それは虚言だったとして謝罪した。私はその日に安倍首相とは会った記憶もないし、会ったとする記録も見つからなかった。このような会見だったが、たぶん多くの人はモヤモヤした気分だったと思う。それはなぜだろうか。
記録がないから会っていないじゃ、説明になっていない。理事長なのだから、秘書などが手帳などに理事長の予定が書かれているはずである。私だって行動記録くらい、手帳を見ればすぐ思い出す。手帳などを公開して、「その日は岡山でずっと会合していた」などと弁明すれば、「ああそうか」と納得できるはずだ。たとえば、東京出張と書かれていればちょっと怪しいと思うかもしれない。さらなる証拠が必要になることだろう。
悪い人なら手帳などを偽造するかもしれないが、現物を差し出して見せてもらえれば、それは本物かどうか見抜けると思う。ぜひ現物の手帳を公開して、真偽を早く明らかにしてほしいものだ。証人喚問しても、問答だけだと堂々巡りになってしまう。捜査の基本は「アリバイ」確認である。「記録にはなかった」だけではなく、手帳などという証拠があるはずなので、ぜひ現物証拠を確かめてほしい。「会っていないのだから証拠はない」というのは詭弁である。
ひとりごとNO.55. データサイエンティストに求められるスキルは何か(2018-6-14)
Amstat
Newsの最新号(2018May)に、データサイエンティストに求められるスキル、トップ10が載っていた。掲載順は少し変えてあるが、それは類似したものを近づけたためである。
Statistics |
統計 |
Data Analysis |
統計 |
Data Mining |
統計 |
R |
統計/ソフト |
Matlab |
統計・計算科学/ソフト |
Algorithm |
計算科学 |
Machine Learning |
計算科学 |
Python |
計算科学/ソフト |
SQL |
計算科学/ソフト |
Java |
計算科学/ソフト |
データサイエンティストになるためには、統計学の素養・実践に加えて、計算科学の素養・実践が必要なことがわかる。米国では、Department of (Bio)Statisticsに加え、School of
Computer Scienceがデータサイエンティスト教育に強く関与している。日本にはStatisticsの学部もないし、Computer Scienceの学部もない。どうせなら、遅いもん勝ち。どちらの学部もあきらめ、データサイエンス学部を新設するのがよいだろう。実際、その方向で進みつつある。
文部科学省は2016年12月には、データサイエンス教育の6拠点を発表した。北海道大学、東京大学、滋賀大学、京都大学、大阪大学、九州大学である。滋賀大学には2017年4月にデータサイエンス学部が誕生したが、その他の大学はセンターレベルである。2018年4月には、横浜市立大学にもデータサイエンス学部が誕生した。同時に、広島大学には情報科学部が新設され、データサイエンスとインフォーマティクスという2コースが設けられた。データサイエンス学部がここ2年間に3つも誕生したことになる。
ひとりごとNO.54. 病院の経費で臨床研究センターを整備するのは無駄ではないか(2018-5-14)
欧米の臨床研究センター(アメリカではCoordinating center, イギリスではClinical trials
unitと呼ぶことが多い)は、国(アメリカならNIH、イギリスならNHS/MRC)によって予算化されていることが多い。そうでなくても、外部からのファンディングで運営されるのが普通だろう。日本の臨床研究センター(AROと呼ぶことが多い)はどうだろうか。AMEDの橋渡し研究拠点や厚労省の臨床研究中核病院がファンディングしているケースもあるが、それらは全国で10数の大学病院にすぎない。それ以外の多くは、病院の経費で運営されているようである。外部から大型ファンドがとれる病院ならよいが、そうでなければ無駄ではないだろうか。資源の無駄遣いとしか思えない。せっかく生物統計家やプロジェクトマネージャを雇用しても、その人たちの仕事がないのが見えている。いくらインフラを整備しても、予算付のプロジェクトが入ってこないと、絵にかいた餅に終わってしまう。グラントやコントラクトなどの大型プロジェクトを獲得できる大学病院だけが、臨床研究センター(ARO)を整備すべきではなかろうか。
イギリスには50弱のClinical Trials Unitがあるようだ。アメリカには恐らく30程度のCoordinating centerがあるだろう。これらは日本で言うところのAROである。私がいたUNC-CHにも1983年の時点(つまり35年前)、すでにCoordinating centerはあった。NIHグラントであるLRCプロジェクト(スタチンの一次予防RCT)が動いていた。そのあと、SOLVDプロジェクト(Enaraprilの心不全トライアル)も始まった。こちらは製薬企業スポンサー(確かMSD)のものだったと思う。さらに、ARICプロジェクト(これはNIHグラントのコホート研究)も始まった。どれも億単位のプロジェクトだったと思う。私も統計プログラマーとしてパートタイムで仕事をしていたが、20名近くの人がそこで働いていたように思う。それだけ仕事もあるし、そのための人件費も十分あるからこそ運営できたのだろう。ちなみに、私は週20時間勤務で約700ドル(今の水準だと15万円程度)月給をもらっていた。実際には週10時間くらいしか働いていなかったと思う。いずれにせよ、病院の持ち出しでAROを運営すれば首を絞めるだけだろう。病院が得た収入は医療機器の購入など、診療環境を高めるほうへ使うべきだと思う。
日本でも欧米並みのAROが育ってほしいと思っている。そのためには、優れた臨床研究を企画し、場合によってはそういった研究を受託し、ニューイングランドへ論文出版できる実力をつけることだろう。ファンディングは、国であっても企業であってもかまわないだろう。われわれ研究者はクオリティの高い仕事を、それぞれが実践することだけだと思う。そのためには、AROで働く各研究者が力を付けねばならない。日本の今あるAROで、欧米のHarvard, Duke, Oxford並みの業績を上げているところがあるだろうか。誰もがNoと答えるだろう。なぜだめなのか。インフラもあるだろうけど、優れた臨床研究ではないこと、各研究者のクオリティがまだ低いこと、論文執筆の技術が低いこと、中身の問題のほうが多大ではないかと思う。ではどうすればよいか。若手の人は欧米の大学AROへ飛び込み、数年間研修し、クオリティを高めてほしい。海外の研究者とネットワークを築き、海外プロジェクトへ参画しつつ、それに負けないような大型プロジェクトを日本でも始め、ニューイングランドへ論文出版することだろう。ビジネスにおける海外進出は揺らぎないものとなっているが、リサーチにおいてはまだまだと感じている。海外留学が減っているのはとりわけ心配なことだ。海外AROとの研究者交流をもっと進め、欧米と伍するAROに近い将来育っていくことを祈念する。
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