2021.03.08
医局コラム

当科の歴史を作られた2人の教授

私は富山大学医学部整形外科の3代目の教授になります。
私は初代の教授の元では入局以来10年、2代目の教授の元では20年、様々なことを学ばせていただきました。私が受けたお二人の教授の印象を述べたいと思います。

初代教授はカリスマ性があり、「私の言うとおりにやりなさい」ということをよくおっしゃっておられました。入局する際にこの先生の元で研修をすれば、少しはまともな医師になれるのではないかと信じ、整形外科の入局を決めた記憶があります。
鮮明に覚えているいくつかの語録があります。
「大学院生は幹部候補生である。臨床も研究も人一倍やりなさい。」ということを言われ、実験は病棟業務が終了し夜の8時、9時から始めていたこともあります。 「座ってカンファレンスをすると医局員は寝ます。」と言われカンファレンスは終始立って行われていました。また手術記録は手術に入ったすべての者が書く決まりになっており、それを翌日のカンファレンスで教授からチェックされます。手術の絵が下手な私は、「腰椎はこんな形はしていません。」などと何回も書き直しを命じられました。おかげで手術のスケッチはある程度トレーニングをされ、書けるようになったと自負しています。
おそらく初代教授は、自分がこの教室を初めから作るという矜持を強く持っておられたのだと思います。自分にも医局員にも厳しく当たられました。ご自宅にも何度となくお伺いをしましたが、本当によく叱咤激励を受けました。私は先生の手術を担当させていただいたことがありましたが、その際にいただいたネクタイは今でも私の勝負ネクタイです。

2代目の教授は、医局員の意見を尊重し、「やってみたいことがあるなら、とにかくやったらどうや」と言われ、我々が行おうとする研究や手技にnegativeなことは一度も言われませんでした。
非常にスマートでその姿がかっこよく映り、靴やワインなど先生のご趣味をまねさせていただきました。業績など医局員へ要求はほとんどされませんでしたが、自分でもジレンマがあったようなことを直接お聞きしたことがあります。それでも年に1度12月の末にねじまき会と称する報告会で今年の業績、これからの目標を述べる機会があり、医局員は時に頭を悩ませていたものでした。
基礎学問への造詣は深く、「毒を食らわば皿までや」と一つのテーマを深く探る姿勢から、「ベリタス(真理)の追及」を口にしておられました。入局後10年目に初めて2代目の教授にお会いした私は、非常にのびのびと仕事ができたため、本当にありがたく思ったことが何度もありました。

私は、このような素晴らしい教授お二人によって礎が築かれた富山大学医学部整形外科をそこに集まる若い先生方にとって、厳しいながらも切磋琢磨できる組織にしていきたいと思っています。
教室には先生方のお写真が飾ってあります。
理想のリーダー像を念頭に置き、自分の部屋に入る前にその写真をいつも見ながら、自分自身を奮い立たせている毎日です。

令和3年3月8日 富山大学医学部整形外科教授 Y. Kawaguchi