2021.08.18

辻󠄀 陽雄 名誉教授がご逝去されましたことを謹んでお知らせいたします(2021年8月)

本学名誉教授(医学部整形外科)辻󠄀 陽雄 先生におかれましては、2021年8月7日にご逝去されましたことを謹んでお知らせいたします。
医局員一同、心よりご冥福をお祈り申し上げます。




弔辞
恩師 辻 陽雄先生へ

心から尊敬申し上げる辻先生、本当にお疲れさまでございました。そしてありがとうございました。先生からいただきましたご恩に対し、深く感謝をし、教室で薫陶を受けた弟子を代表いたしまして哀悼の誠を捧げます。
辻先生は1978年、昭和53年4月に富山医科薬科大学の整形外科を立ち上げるために千葉大学より赴任されました。玉置先生、伊藤先生、山田先生をはじめとする諸先生方のご協力の元、まさに無から有を生む教室作りには、言葉では言い表せないご苦労があったことと拝察いたしております。先生はそのお名前のごとく、我々にとっての太陽のような存在でした。
我々は先生から、医師としての心構えだけでなく、人としての生き方、そして哲学を学びました。診療・研究・教育、すべてに100%を尽くされる先生の熱い姿勢は、皆の心をひきつけました。
辻先生の手術、流れるように進む手さばきはまさにゴッドハンドでした。先生が手術室に入られると、手術室の色が変化したように感じました。手術は一発勝負、このことを常に念頭におかれ、術者、助手すべての者が緊張をして手術に携わっておりました。その手術手技の集大成が名著、基本腰椎外科手術書であります。我々はこれを熟読し手術に入らせていただいたものです。随所に先生ならではの鋭い感性がちりばめられ、これを読めば手術ができるようになるといった思いを抱かせる我々にとっての教科書でした。
富山医科薬科大学、現富山大学整形外科学は、木村前教授のご指導の元、一昨年40周年記念式典を滞りなく終えることができました。私は、辻先生が富山で教授になられてから10年目に入局し、その後10年間教室内で直接指導を受けました。学生の頃からあこがれの辻先生の教室に入って精進したい、そのような思いから整形外科を選びました。思えば厳しい修行の日々でした。立ったままで行われた毎日のカンファレンス、温度板に映る患者さんの異変を主治医が把握していないときは、先生は容赦なく主治医を叱責されました。手術翌日のカンファレンスでは、手術に立ち会ったすべての医師のスケッチ入りの手術記録を入念にチェックされ、所見が違うと書き直しが命ぜられました。研究は常にノイエス、新たな知見を追及する姿勢を問われました。学会発表や学位発表の前には、厳しいご指導を頂きました。しかし、このような厳しい先生にお導き頂けたからこそ、今の自分があると思っております。
私は、先生から受けた熱い論文指導のことを今でも鮮明に覚えております。学位論文の投稿が遅れ、辻先生のご自宅まで投稿論文をお持ちしました。その日先生は札幌でご講演があるとのことで、私は先生をご自宅から自分の車で空港までお送りしました。その間、車の中で論文のチェックが始まりました。矢継ぎ早にされるご質問にうまく答えることができず、どこをどうやって空港までたどり着いたかわかりません。辻先生は、「飛行機に乗っている間に論文をチェックしホテルから送るから医局で待機していなさい」、と言われました。その後、札幌にお着きになられたと思われる同時刻に医局にfaxが入りました。そこには自分の文章が全く残っていないほどに素晴らしく校閲された論文が送られてきました。先生の熱心な教育姿勢が本当にありがたく、送られてきた論文にお辞儀をして清打をいたしました。
先生は医局でも、病棟でも、手術室でも、学会場でも、全く変わらない慄然とした姿勢を貫いておられました。そこにはゆるぎない信念を感じたものです。ロマンスグレーの髪の先生のお姿を見たとき、我々は直立の姿勢を取らざるを得ない、そのような迫力がありました。
先生との思い出は尽きません。今は本当に寂しい気持ちです。もっともっとたくさんのことをご相談したかった、叱咤激励いただきたかった、と思っております。しかし、残念ながら今となってはかないません。ただ先日先生のご遺体にご挨拶をした際には、先生のお顔は柔和で、自分の人生に悔いなしと語っておられるように感じました。
今後は先生のことを瞼に浮かべつつ、先生であったらどのようにお考えになられただろうかと自問自答しながら、この教室を切磋琢磨できるゆるぎない集団になるよう導いてゆきたいと思っております。それが辻先生への恩返しになるものと信じております。
辻先生、本当にありがとうございました。ごゆっくりとお休みください。

令和3年8月16日
富山大学医学部整形外科教授
川口善治