環境

14:教授の話生涯、研究。
医師である限り。

座談会メンバー

  • 齋藤滋

    PROFILE

研究する理由は一つ。
なんとかして助けたいから。

ー医局の運営方針について、どのようにお考えですか?

リサーチマインドを持った、よき臨床医を育てる。それが僕のポリシーですね。研究をするために研究するんじゃなくて、目の前にいる患者さんを救うために研究する、という姿勢。それをすごく大事にしたいと思っています。臨床していると、必ずと言っていいほど、うまく行かない症例があるんですよ。ガイドラインというものがあって、基本方針はまとまっているんですが、その通りにやっても、うまく行かない。ほとんどのドクターが、どうしたらいいか思い悩んでいると思います。そこから研究が始まるんですね。うまく治療できない症例は、他に何か方法がないか、なんとかして探りたい。僕自身も、そういう思いから研究を始めたんです。

ーどのような研究をされていたのでしょうか?

これは僕が産婦人科になった理由の一つにも関係しているんですけど。赤ちゃんってどうしてお母さんから拒絶されないんだろう、という素朴な疑問があったんです。本来、赤ちゃんは、半分はお母さんだけれど、半分は旦那さんのもの。普通は、お母さんの体に拒絶されるはずですよね?それで、いつかは妊娠について研究としたいと思っていたんです。僕がちょうど医学部の5年生のとき、奈良医大の先生がネイチャーに論文を出されたんですけど。ゴールデンハムスターにヒトのがん細胞を注射すると拒絶されるけれど、妊娠時にたくさん出てくるホルモンを注射すると、がん細胞の移植が成立してどんどん大きくなる、という報告がされたんです。この事例が、ヒトのがん細胞を動物に移植して成功した、世界で初めての例なんですけど。妊娠ってすごいなと、妊娠がどうして成立するかがわかったら、将来がんの治療もできるんじゃないかと、学生の時に思ったんですよ。それで入局するときに、そんなことを研究したいって言っていたら、東北大から来られた一条先生から、大学院に入って研究しなさいと言われて、ずっとその研究を続けてきました。だから、流産や早産というのも、もしかしたら一つの拒絶反応じゃないかと思ったんですよ。実際に、流産については、いろんな拒絶反応が起こっているのを、世界で初めて証明できました。拒絶反応を防ぐことで、流産や早産を治療できるかもしれない。そうして調べていったら、早産の原因も突き止めることができたんです。

一例一例を、大事に。
20年間、続けてきました。

ー早産の原因を突き止める羊水の検査方法を、世界で初めて富山大が確立したんですよね。

いちばん最初はね、切迫早産の患者さんの帝王切開をする時、羊水を取っておいたんです。そんなことをしている人は誰もいませんでしたけど、僕は子宮の中の環境に興味があったから、奈良医大にいた当時、20年以上前ですが、凍らせておいたんです。そこから脈々と研究が続いていって、ようやくバイキンの感染が早産の原因になるということが分かったんです。発表をした時も、それは原因じゃなくて結果じゃないかと、散々言われました。でも、そのうち世界中に同じようなことを言う人がたくさん出てきて、動物レベルで子宮の中に感染をさせると、早産が起こることも分かりました。感染を制御できれば早産は防げる、という仮説が、現実のものになりつつあるんです。

ーあと一歩で、研究が目の前の症例に活かせるのですね?

感染している症例には、抗菌剤を投与することで治療ができることがわかりました。ただ、また新たな問題が出てくるんですよ。感染しなくても、早産が起こるのはなぜか。次から次へと、分からないことが増えていくんです。妊娠高血圧症候群も、どうも拒絶反応が起こっているので、拒絶反応を防ぐためにどうするか。こちらも研究中です。やればやるほど面白くなりますね、研究は。色々やっていくと、実際の患者さんに応用できるようになる。目の前の患者さんを救うような研究ができているということが、何よりも嬉しいですね。

ーまさに「リサーチマインドを持った、よき臨床医」ですね。

当然、いろんな人に助けていただいて、教えていただいて、実現できたことです。多くの方と協力して研究する大切さも、学びました。臨床も研究も、一人じゃどうにもならない。これから入局してくる人たちにとって、この医局はいろんな分野があるし、いろんな研究テーマがある。がんをやりたいとか、染色体やりたいとか、それぞれの分野で、やりたいことをテーマにしてもらえたらと思います。みんなによく言うのは、「一例一例を大事にしなさい、いろんなサンプルを保管しておきなさい」ということ。ちゃんと保管してストックしていると、あとで比較もできますから。全ては積み重ねですよ。今、結構なペースで論文を出しているけれど、それは20年分のストックがあるからできるんです。富山は大都会に比べれば症例は少ない。でも、コツコツやってためていくことで、アイデアが生まれた時に、いつでも使えるんですよ。

5年連続、入局ゼロ。
もう、僕が辞めようか?

ーいま、医局全体で重視していることはありますか?

重要視しているのは、教育ですね。きっと、他の取材でも聞いていると思うんだけれど。以前、5年連続で、入局がなかったんですよ。医局の雰囲気も、めちゃくちゃ暗くて。みんなでどうしたら産婦人科医が入局してくれるのか、真剣に議論したんです。いっとき、「僕、辞めようか?」と言ったくらい。「僕の指導が厳しすぎるんやったら、辞めようか?」って。でも医局員みんなが「辞める必要ないです」って言ってくれたんで、ほんなら頑張ろかって。その時からですね、教育を重要視するようになったのは。学生さんは臨床研修で毎週来ますから、そういう子たちに、とことん教えたろやないかって。それまでは、とにかく人がいなかったから、患者さんのことで手一杯。教育はどうしても、後回しになってしまっていたんです。教えている時間はないから、とりあえず見とけって。そうじゃなくて、ちゃんと教えるように切り替えようと。それでも全然入局者がなかったら、みんなでこの大学病院辞めようかって言ったんです(笑)。

ーあの噂に名高い「富山大学産婦人科冬の時代」ですね。

長い冬でしたね。あの頃、教育の一環で、産婦人科サマースクールなんかも始めました。最初は誤解があって、富山大の入局者を増やすためにやっているんじゃない?なんてよく言われたけれど、全国の産婦人科医を増やすために、つくったんです。そこに参加してくれた人が、そのあと産婦人科医になって、さらには、若手の指導者に応募してくれるようになって。今では若いメンバーが中心になって、産婦人科医を増やしましょう、と自分たちでアイデアを出すようになっています。臨床にしても、研究にしても、同じですね。あんまり締め付けると良くない。ある程度自由にして、みんなでいろんなことをやってもらう方がいい。臨床でも、ガイドライン通りにしてうまくいかない時は、どうしたらいいやろかって、みんなで方針を決めていく。そういう風土が出来上がっていって、自然と入局者が増えていきましたね。学生たちに、「どこに一番お世話になった?」とアンケートを取ると、トップスリーに産婦人科が入るんですよ。なんでも教えてくれた、教室の雰囲気がすごく良いって。

14人出産して、
14人復帰しています。

ー富山大は、女性の産婦人科医が多いのも特徴ですよね。

世界的に見ても、産婦人科医は女性が多いので、これは当然かなと思ったんですけど。彼女たちがみんな結婚して、出産年齢になっていくと、実は結構大変で。最初8人出産して、現場に戻ってきたのは1人だけ。せっかく必死になって入局してもらったのに、これはいかんと思いました。その時は、患者さん一人に、主治医が一人という体制。夜間に何かがあったら、主治医が呼ばれたんです。子育てしながら、これはきつい。それで3人くらいのチーム医療にしたんです。色々話を聞いたら、保育所に6時か6時半には迎えにいかないといけない。だから5時半に申し送りをして、自分の患者さんのことを当直医に伝えるようにして、6時になったら自由に帰っていいよ、というシステムにしました。産休だけじゃなくて、育休も、十分休んでもらうための内規をつくったんです。私がつくったのは、最初の一文だけ。「富山大学産婦人科教室は、全力で出産した後の女性医師をサポートします」。そのあとは、自分たちで決めさせたんですよ。でね、これ後から分かったんだけど、自分たちで決めたルールだから、守らなあかんのですわ。僕が決めたものなら、守らなくていいやってなるけれど(笑)。その後、14人出産しましたが、全員復帰してますね。

ーこれから力を入れたいことはなんですか?

産婦人科全体で考えると、日本の医療レベルは間違いなくトップクラスです。けれども、臨床研究は、まだまだ遅れている。臨床研究ができるシステムがないんです。それをちゃんと確立して、次の世代に託したいと思っています。がんはスポンサーが、すぐにつくんですよ。けれども、お薬を使うと赤ちゃんに異常が出るんじゃないかって、日本の企業は周産期の臨床試験には取り組んでいないんです。これだけ少子化が叫ばれて、高齢者が増えてきたことで、次世代の子供たちの健康を守ることが非常に重要になっていると思います。元気に生まれてくる赤ちゃんが増えれば、社会全体も健康になりますから。できるだけ合併症のない子供を産めるように、そのための研究システムを確立したいと考えています。そうして、研究をする人が増えていけば、新しい発見が増えて、国際的な場での発表も増えていく。全体のレベルも上がるし、それによって、多くの人が救われると思いますね。