07:産婦人科医の夫産科医の妻を持つ。男たちの境地

座談会メンバー

  • 米田哲

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  • 津田桂

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はじめての育休

ーお二人は夫婦そろって現役産科医でいらっしゃいますね。

米田:うーん。俺はもともと田舎育ちだから、子供が生まれたら妻は家にいてくれるって生活が当たり前だと思っていたんです。なので、最初は抵抗があったというか、本当は家にいて欲しかったんですよね。妻も産婦人科で働くとなると、俺も家事をやる必要が出てくるでしょ。でも働きたいって言うなら、その想いを無視するのは流石に罪だと思ったんですよ。俺の同期の女性は、子供産んですぐ産科医をやめたんですよ。だから今は主婦。でもそれって、せっかく資格取ったのにちょっと寂しい。だから妻のやりたい気持ちは理解できるんだけど、具体的に何をすればいいかってなると、僕も掃除、洗濯、料理をするってなる。仕事して疲れて帰ってビール飲んですぐ寝たいって時に、なんの準備もないわけだから、そりゃやっぱり嫌でしたね。(笑)

ーご結婚される前に、そういう話はしていたんですか?

米田:してないです。でも、きっと仕事続けるんだろうな~って思ってましたよ。そういう雰囲気出てました(笑)。

津田:僕の妻は出産して1ヶ月しないうちにアメリカの学会に行っちゃったんですよ(笑)。あれは辞める気なんてないっていう意思表示でしたね。

米田:津田先生の奥さん専門医の試験受けてトップだったんだよね。東大京大を差し置いて、トップ。

津田:そうなんですよ。僕とは対照的で。

米田:でもまあ、続けたいなら協力するしかないよな。

ーお2人とも育休をとられたと聞きました。

米田:そうです。俺は育児休暇には興味あったんですよ。やってみたかった。大学病院で男で育児休暇とった人は今まで0だったし、そもそも男性医師として育児に関わるという概念がなかったので。ちょっと冒険というか。どうせ妻が働くって言ってるのだから、僕が育児休暇をもらっちゃおうかなって思いついた。結果的には、事務の人が色々調べてくれて、貯まってた有給を使って1ヶ月間育児することになりましたね。朝は妻を見送り家で子育てをする生活でした。

ー不安はなかったですか?

米田:育休とる前に、俺に育児ができるのか1度実験しようと思って、妻に家を出てもらったことがあるんですよ。どうしようもなくなったら助けを呼ぶからそれまで外で遊んでてくれって言って、俺と赤ちゃん2人きり。ずっと泣いてたなー。赤ちゃんって泣き続けると、泣き疲れて寝るんですね。そんで、起きたら今度はお腹減ってることに気づいて泣く(笑)。かたくなに哺乳瓶を嫌がってたんだけど、泣き続けて4時間経ってやっと口につけてくれましたね。それからは、哺乳瓶使えるようになった。僕のことは哺乳瓶の人って認識してたようです(笑)。やっぱり育児って大変だなって思いましたよ。

ー育休期間はどうでしたか?

米田:得るものがたくさんある1ヶ月でしたね。やっぱり赤ちゃんが初めて新しいことができるようになった瞬間を目撃すると感動するんです。大変なんだけど楽しいこともたくさんある。育児と家事は、働くより大変かもしれないですよ。あの時から、前向きに妻と一緒に頑張っていこうかなって思えるようになりましたね。よい1ヶ月だった。だから桂先生に、育休とりたいって相談されて、俺は結構嬉しかったのよ。

津田:はい。「是非とれ、ただし周りに与える影響は絶大だから、やれるときに努力しておけよ。」って言っていただいて。1ヶ月間育休しました。僕もやれてよかったです。

男はつらいよ?

ー家の仕事の役割分担はあるんですか?

津田:あんまりちゃんとは決まってないですね。うちの子供は1歳7ヶ月なのですが、妻は今、忙しい時期なので、結構僕が色々やってます。まあ、暗黙の了解で決まっちゃっている感じですね・・(笑)。

米田:わかる。その暗黙が曲者なのよ。実はお互い胸の奥に不満があったりする。俺は1度、「それはないだろ」って妻にキレたことがあったんです。でも結構後悔していて、その怒ってるところを子供が見てたみたいなんですよね。「あの時、ママのこと怒ってたでしょ」ってもう3回も言われちゃったよ・・。なんかずっと覚えてるんだよな。やっぱタイミングを見つけて話し合う方が良いんだろうなと思いますよ。

津田:僕もいつか話し合いたいです。僕自身、3人兄弟だったんで、2人目が欲しいなって言ってるんですけど、今は無理って言われちゃいます。 そろそろ同じ年頃の子供がいるお母さん、お腹がおっきくなってる人が多いんですよ。ちょっと羨ましいというか。

米田:うちもその時期そうだったよ。「2人目は厳しいね」って言い合ってたんだけど、3歳になってから、「もう1人いいかも」って向こうが言い出したんだよ。俺は反対だったの、辛くなるのは俺だから。絶対無理って言いながら、ハッと気がついたら2人目ができちゃってた(笑)。

ー津田さんは、なんの研究をされているのですか?

津田:「婦人科癌を対象とした腫瘍浸潤T細胞及び末梢血T細胞の腫瘍反応性とその認識抗原の解析」という名称の研究を行っています。研究内容は「がん」に入り込んでいるリンパ球と血液中にいるリンパ球が「がん細胞」を傷害するかどうか、そしてもし傷害するならばどのような遺伝子の変異を目印にしているのかについて詳しく調べています。

米田:アカデミックだね。

津田:妻も免疫に関わる研究をしてるので、家でも研究の相談に乗ってもらったりしてます。同じ仕事してる分、仕事の悩みが結構わかるので、そういうのは良いかも。あとは、妻が〇〇やりたいって言うと、それがどれくらいの規模感かがわかるから、(今日は1日帰ってこないんだな。だから俺は子供と遊んでようって。)感じで家のことを調整してますね。妻は平日の昼は病棟で仕事で、その間僕は研究ばっかしてます。逆に夜とか休日とかは、僕が子供の面倒見て、妻が研究するって感じですね。

米田:そういう時期があるもんだ。うちもそうだったけど、そのうち落ち着いてくるよ。最近は子供が洗濯物畳んでくれるようになったし、たまにだけど。

津田:いつが一番大変だったんですか?

米田:小1の時かな~。学校14時に終わったりして、18時までの4時間どうすんの?!ってなる。

津田:小1の壁ですね。その間どうしてたんですか?

米田:学童があったからなんとかなったんだよ。毎日2時間くらい、なんかのお稽古があって週3回入れてもらって、子供も気に入ってたからよかった。学童保育がなかったら、もう厳しかったね。14時15時で小学校1年生が鍵っ子ってわけにもいかないでしょ。ね。

津田:まだまだ、幼稚園の延長ですからね。

米田:小1の壁はきつかったな。子供が大きくなると、預かってもらえないから学会にも連れていけなくなったりもするね。学会行けないのも相当ストレスだったよ。

だけど妻には負けたくない。

ー育児の経験が仕事にいかされる場面はありますか?

米田:昔の医局は、当直しないと許されないような雰囲気だったんですよ。だけど僕は子供のことを考えると、やっぱり夜はお母さんが家にいた方がいいと思うよ。基本的に男が当直をやって、子供がお母さんが家にいた方がいい。それは育児を体験して、身を以て感じたからね。お母さんは特別なんだよ。だからその辺をちょっと改革して、お母さんは基本的に当直免除になりました。その代わり日中頑張ってもらう。改革の時は色々大変なことがあったけれど、これで良いと思います。

津田:僕は、例えばまだ小さいお子さんがいる患者さんの診療にあたるときに、その患者さんの家庭の状況を考えるようになりましたね。

米田:ああ、わかる。自然と、この人本当に入院させていいのか、入院してる間、3歳の子を誰が面倒見るのかって思うようになった。そんでちゃんと確認するようになったな。子供ができる前は、そんなこと一切考えなかった。

津田:全く考えなかったです。

米田:だからやっぱ、妻が産婦人科をやりたいって言ったおかげで、いろんなものが見えるようになったのかもなあ。

ー最後に一言お願いします。

米田:いまの政治って、子育てを知らない男性とかが牛耳ってると思うんだよね。だから結局、いろいろ政策掲げてるわりに、いい案を出せないのよ。でもそんな制度とかじゃなくてね、「働きたいなら一緒に努力してこっか。」みたいな人たちが増えてゆくと、きっといろんな目線で社会は変わってくると思うんだよね。あとは、みんなが仕事への自分だけの武器やポリシーを持つこと。そうなれば、出産のタイミングでスパッと切られちゃうなんてこともなくなると思いますよ。独自のスペシャリティーを磨いてゆくことがお互いに大事なんじゃないかな。
それが仕事のポリシーだし、そういうのがあれば両立できるんじゃないかなって最近すごく思います。

津田:誰でもできる仕事じゃなくて、その人にしかできない仕事をやらなくちゃダメですよね。

米田:それも、うちの妻から学んだのかな~、あいつもあいつにしかできない仕事やってるから。だからこそ応援できるのかもしれないな。でも応援してると、自分に返ってくる時があるよ。

津田:いいですね。

米田:だからこそやってこれたのかもな。妻には負けたくないしね。